mitsutabi

2018/12/05 06:11

 


旅とは、自分の体と心を日常から離れた場所に置いてみること。いつもと違う風と光を浴び、いつも違う人と言葉に触れ、「非日常」で五感を満たしてみる。昨日までの連続を、一度ぷつりと断ち切ってみる。


感じることが変わると、考えることが変わる。考えることが変わると、やがて生きかたそのものも変化していく。旅に出る前の自分と、旅から戻った時の自分に、わずかでも変化があったなら、それはきっと”いい旅”だったと言えるはず。

 

長崎・五島列島を舞台に、そんな新しい旅の形を提案している「つめる旅」。今回「みつめる旅」をしたのは、こんな人です。


旅をした人:金子貴一さん

1962年、栃木県生まれ。カイロ・アメリカン大学文化人類学科卒。在学中よりテレビ朝日カイロ支局員を経てフリージャーナリストに。また、観光ガイドも務めるようになり、25年にわたり添乗員として世界中を旅している。仕事などで訪れた世界の国と地域は117。「秘境添乗員」として各メディアでも活躍中。




金子貴一さんの「みつめる旅」in 五島列島


1日目(羽田から長崎経由で鯛ノ浦)

2日目(❶蛤浜付近)

3日目(❷頭ケ島から❸桐古里・若松)

4日目(❸桐古里・若松)

5日目(奈良尾から長崎経由で羽田)



25年の添乗員人生からみた「みつめる旅」

 

今回、私は「みつめる旅」に添乗員として参加しました。添乗員という仕事に就いて25年、世界中のさまざまな場所をみなさまと一緒に旅してきましたが、この五島への旅は、旅行業界に身を置く者としてもいろいろと考えさせられました。

 

まず、この45日は、正直添乗員としての仕事は少なかったのですが、ひとつひとつに高い「質」が求められる旅でしたね。

 

あらかじめ細かいところまで準備をし過ぎず、旅をされる方が五島という場所で何を感じ、何をしたいと思うかを大切にして、心の赴くままに時間を過ごしてほしい。それが、「みつめる旅」のコンセプトだったので、あえて通常のツアーのようにあまりお膳立てをしないようにしました。

 

予約しておいたのは、行き帰りの飛行機と船、そして宿だけ。予定も1日にひとつ入っているかいないかで、その他のことはほとんど何も決めないという、旅行業界の常識からすればありえない旅でした(笑)。

 

旅行代金をいただいている以上、できるだけたくさんのコンテンツを、限られた時間の中に効率よく入れていくのが、旅行商品を準備する側の発想ですから、その点でも「みつめる旅」は特異だったかもしれませんね。

 

必要最低限の準備だけして、あとは添乗員としてというより、一種のファシリテーターとして、みなさんひとりひとりが自分の興味に従って、旅を味わえるよう要所要所で必要な情報を投げかけていく。それが今回の私の役割でした。



 

「触発される旅」とは?

 

25年、添乗員という仕事をしてきて思うのは、思い出に残る「いい旅」とは、何らかのハプニングが起きる旅ですね。

 

旅先で予期できないようなちょっとしたハプニングがぽつんぽつんと起きて、順調に進んでいたら気づけなかったであろうことに気づける。その発見をきっかけに、現地の文化や歴史について新たな知識が得られる。そういう体験があると自分の中で何かが触発されて、旅を終えた時に深く心に残ります。

 

ですから、ある意味、「いい旅」とは、順調にはいかない部分がちょっぴり混ざっているものなのでしょう

 

今回の旅でも、そんな予期せぬ展開がいくつかありました。たとえば、最初からスケジュールに組み込んでいた、世界遺産「頭ケ島天主堂」を見学したあと、たまたま地元の方が「せっかくだから一緒に行きましょう」と、五島の人さえ知らないような小さな教会に連れていってくださいました。

 

それらの教会は、どこも、民家に混じってひっそりと建っていて、今も信者さんたちが毎日のように手入れをしながら、こぎれいに保たれている様子がよくわかりました。

 



20186月に、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として五島列島の中では、「江上天主堂(奈留島)」「旧五輪教会堂(久賀島)」「頭ケ島天主堂(頭ケ島)」「旧野首教会堂(野崎島)」などとその周辺集落が世界遺産に登録されましたが、それ以外にも名もなき教会がたくさんあります。「世界遺産になったから訪れてみよう」というのも、もちろんよいと思いますが、地元の人に誘われて偶然訪れた時の感動はひとしおでしょう。

 

偶然の感動が起きる余地のある旅が、本当は一番いいのかな、と思いました。


 

「無形のもの」にも思いを馳せてほしい

 

実は、私はこれまでも、潜伏キリシタン関連の取材のために何度か五島に足を運んできました。現在も信仰を守り続けているカクレキシタンの方を直接取材したこともあります。

 

潜伏キリシタンに対する厳しい弾圧の歴史から、五島を「祈りの島」として訪れる方も多いと思うのですが、その際に少し心に留めておいていただきたいことがあります。それは、本当に貴重なものは「無形である」ということ。

 

世界遺産は、言うまでもなく「有形」です。土地や建物など、何らかの不動産がなければ世界遺産には登録できませんから。でも、忘れてはならないのは、世界遺産に登録された理由です。禁教が解けてから建てられた教会は確かに素晴らしいものですが、ICOMOS(イコモス/国際記念物遺産会議)が評価したのは、260年という長い間、弾圧に耐えながら信仰を守り続けてきた潜伏キリシタンの存在そのものなのですね。

 

今年、世界遺産になったことで、教会をはじめとする遺跡が注目されがちですが、本当は信仰という無形のものこそ貴重なのです。やはり目に見えないものより、目に見えるものに関心が向いてしまうのはわかりますし、密かに受け継がれてきた潜伏キリシタンの信仰そのものを理解しようとするのは、とても難しいでしょう。

 

それでも、信者のみなさんから直接お話を伺ったり、行事を見学したり、禁教の時代に潜伏キリシタンが隠れ蓑にしていた「山神神社」(中通島)のような、教会以外の遺跡を巡ったりと、一次情報に触れながら、その信仰がどういうものだったのだろうと思いを馳せる時間を持っていただけると嬉しいですね。旅をされた方ひとりひとりが、旅先で新しい情報や体験を得、その真髄を体解(たいげ)することで、幸せに生きていくための知恵にまで昇華してくださったらいいな、と旅に寄り添う者として常々思っています。



(写真はすべて福江島在住の写真家・廣瀬健司さんによる撮影)