mitsutabi

2018/10/25 10:33



旅とは、自分の体と心を日常から離れた場所に置いてみること。いつもと違う風と光を浴び、いつも違う人と言葉に触れ、「非日常」で五感を満たしてみる。昨日までの連続を、一度ぷつりと断ち切ってみる。

 

感じることが変わると、考えることが変わる。考えることが変わると、やがて生きかたそのものも変化していく。旅に出る前の自分と、旅から戻った時の自分に、わずかでも変化があったなら、それはきっと”いい旅”だったと言えるはず。

 

長崎・五島列島を舞台に、そんな新しい旅の形を提案している「みつめる旅」。今回「みつめる旅」をしたのは、こんな人です。

 

旅をした人:高倉裕紀さん

1991年香川県出身。大学卒業後、総合商社でキャリアを積み、スポーツ関連の事業に転身。趣味はフットサルと美味しいものを食べること。最近は体を動かすことにハマり、今年10月には人生初のデュアスロンに出場予定。




高倉裕紀さんの「みつめる旅」in 五島列島


1日目(羽田から長崎経由で鯛ノ浦)

2日目(❶蛤浜付近)

3日目(❷頭ケ島から❸桐古里・若松)

4日目(❸桐古里・若松)

5日目(奈良尾から長崎経由で羽田)



岩の裂け目に浮かんだマリア様


今回の五島の旅では、いろいろな意味でとても充電されました。心も体も。それはやっぱり息を飲むほど美しい自然と、潜伏キリシタンをめぐる過酷な歴史が、五島という一つの場所に共存しているからだと思います。すごく凄惨なものと、すごく美しいもの。その両極に触れたことで、心と体が刺激されました。

 

例えば、4日目に地元の人が船で連れていってくださったカクレキシシタンの洞窟クルーズ。若松島あたりの、複雑に入り組んだ海岸線を船で進んでいくと、江戸時代、カクレキシタンの家族が身を潜めていたという洞窟が見えてきます。波が絶えず打ちつける断崖に空いた、細い裂け目のような洞窟。その日は波が荒くて上陸できませんでしたが、奥行き50m、高さ5m、幅5mほどの本当に小さな洞窟に、4家族8人が4ヶ月間も隠れ暮らしていたそうです。

 

食料はほとんどなく水だけで生き延びていたのですが、4ヶ月目に初めて煮炊きをしたところ、その煙で見つかり拷問を受けたといいます。洞窟のすぐ近くには、断崖のクレバスがマリア像のように見える「針のメンド」と呼ばれるものがありました。岩と岩の間から、本当にマリア様の形をした空がぽっかり浮かんで見えて驚きました。

 

その話を、今もカクレキシタンとして生きていらっしゃる地元の方から直接伺うと、私自身は宗教とは無関係に生きてきたのに、なんだかとても胸を打たれて。マリア様のように見える自然の造形物のそばで、家族が水だけで何ヶ月も暮らしていた……。人をそんな苦難にも耐えさせる「信仰」って、一体何なのだろう?と改めて考えました。



 

「言葉の重み」って何だろう?


1873(明治6)年に禁教が解かれてから145年も経つ、この2018年にまだカクレキシシタンとして信仰を守り続けている方がいらっしゃることにとても驚きましたが、その方の生きざまにも衝撃を受けました。というのも、口にされる言葉ひとつひとつに、普段自分が触れている言葉にはない特別な重みが感じられたから。言葉に、その方の存在感や生きざまのようなものが乗っかっている感じが、お話をしているとビシビシと伝わってくる。

 

人の人生に大きな影響を与えるような言葉、聞いた人の心に深く刻まれる言葉って、言葉そのものに力があるというより、語る人の生きざまが乗っかっているからすごいエネルギーを発するんだなあ、と思いました。

 

僕たちはよく行動する前に、何をするか言葉で考えたり、自分の意図を言葉で伝えようとしたりしますよね。でも、その人の具体的な行動や生きざまが伴わない言葉に、人の心を動かすほどのエネルギーはないのかもしれませんね。その意味で、「言葉と生きざま」について、考えさせられた時間でもありました。

 

美しい入江を眺めながらのランニング


今回は45日の旅でしたが、行き帰りの日を除いてあらかじめ予定を入れていたのは1日だけだったので、あとはほとんど自由時間でした。

 

五島に着いてから、解禁シーズンを迎えたばかりの伊勢海老でバーベキューをしたり、自分たちで釣り上げた鯛やクエを刺身や鍋にして食べたりと、おいしいものばかり食べていたので、4日目になると、ふと「身体を動かしたいな」という気分になって。ちょうど一緒に旅していた同年代のHくんも「僕も走りたくなってきた」と言うので、ランニングに出かけることにしました。宿から若松大橋まで往復6キロ弱をふたりで走りました。

 

東京にいる時もたまに皇居ランをするのですが、走っていると、何も考えなくなって、だんだんと自分の呼吸と足音だけが聞こえるようになってきます。やがて集中力が最高に高まる「ゾーン」と呼ばれる状態に没入していく感じが、たまらなく気持ちいい。五島で走り始めると、不思議なことに、そのゾーンにすぐに入れましたね。

 

今回滞在していた中通島から若松島にかけては、幾重にも入り組んだ海岸線と透き通った海という風景がどこまでも淡々と続いていて、ランニング中はそれがとても気持ちよかったです。

 

走りながら、Hくんと「なんか、ここの海いいね」となって、シュノーケリングの準備をしてもぐったり。本当に信じられないほど綺麗な海でした。まわりを大きな魚がぐるぐると泳いでいて。それが、五島で目にしたものの中で一番美しい光景でした。



 

思考を深められる時間


歴史も、自然も、五島はそのエネルギーが凄まじいと感じました。そのエネルギーに触れたせいか、深いところまで思考できるようになった気がします。

 

たとえば、オフィスで仕事をしていると、あれこれ真剣に考えているはずなのにいいアイデアが生まれてこない時がありますよね。でも、オフィスを出て駅に向かって歩いているうちに、思考がほどよく緩んでいいアイデアが浮かんできたりする。五島で過ごしている間に自分に起きたのは、そういう「思考の緩み」だったかもしれません。

 

思考を深める時間を持つという意味では、少し長めの休暇をとって五島でゆっくり過ごすのはとてもいいと思いました。


(写真撮影:上から順に1、2、3番目は旅行者自身、4番目は五島在住の写真家・廣瀬健司さん)