mitsutabi

2018/10/05 06:37



旅とは、自分の体と心を日常から離れた場所に置いてみること。いつもと違う風と光を浴び、いつも違う人と言葉に触れ、「非日常」で五感を満たしてみる。昨日までの連続を、一度ぷつりと断ち切ってみる。

 

感じることが変わると、考えることが変わる。考えることが変わると、やがて生きかたそのものも変化していく。旅に出る前の自分と、旅から戻った時の自分に、わずかでも変化があったなら、それはきっと”いい旅”だったと言えるはず。

 

長崎・五島列島を舞台に、そんな新しい旅の形を提案している「みつめる旅」。今回「みつめる旅」をしたのは、こんな人です。

 

旅をした人:木村優子さん

大学を卒業後、国内外の法律事務所や企業で法務のプロとしてキャリアを積む。30歳で体調を崩したことをきっかけにヨガを始め、全米ヨガアライアンスの資格を取得。ヨガ発祥の地インド、ネパールで研鑽を積む。法務の仕事のかたわらレッスンを受け持つように。現在では独立して千葉・船橋を中心にヨガ教室「YOGA ARANGA」を主宰。銀座、丸の内、大手町の企業や、大学病院でもヨガレッスンを開催している。



 

木村優子さんの「みつめる旅」in 五島列島


1日目(羽田から長崎経由で鯛ノ浦)

2日目(❶蛤浜付近)

3日目(❷頭ケ島から❸桐古里・若松)

4日目(❸桐古里・若松)

5日目(奈良尾から長崎経由で羽田)


 

波の音と自分の呼吸が重なっていく

 

今、旅から戻ってちょうど3週間が過ぎた頃ですが、一番心に残っているのは中通島(なかどおりじま)の蛤浜(はまぐりはま)でただただゆっくりと過ごした時間ですね。朝、ちょっと早めに起きて、宿から歩いてすぐのビーチでヨガをして、あとは砂浜を散歩したり、遠浅の海の中をどこまでも歩いていったり。陽が西に傾いて、夕焼けが出て、空が暗くなるまで1日中蛤浜で過ごしました。

 

蛤浜は、中通島の中で一番深い入江なのだそう。そのためか、本当にゆっくりと潮が満ちては引いていくんです。早朝ビーチヨガをしていた時間には沖の方まで引いていた波が、夕方にかけてゆっくりゆっくり時間をかけて、美しい波紋を無数に描きながら、満ちていく。

 

英語だと、呼吸音は波音に例えられます。寄せては引いて、引いては寄せていくあの波のリズムが、ひとりで蛤浜を歩いていた間とても新鮮に感じられました。自分の呼吸と波の音がだんだんと重なり、なんだか胎内にいるような安心感に包まれていって。とても不思議な感覚でした。

 


 

蛤浜を歩きながら沖の方を眺めていると、人為的なものがほとんど何も目に入ってこないんです。緑の茂った山が、いくつも重なった本当に穏やかな入江で。きっと、この風景は1000年前もこのままの状態で、ここにあったんだろうなという気がしてくる。

 

そして、その長い長い時間の中で、数えきれないほどの人が生まれては死んで。キリシタン弾圧のような苦しい歴史もあったし、過酷な自然災害もあった。そんな人間のいとなみを、五島の自然は沈黙しながらじっと見てきたんだな、と。そう思うと、初めて訪れた場所なのに無性に懐かしくなってくるんです。

 

東京にいると忘れていること

 

実は、五島の旅から戻ってきた直後に、がんを患っていた父の余命がひと月ほどしかないかもしれないとお医者さんから告げられました。大学の哲学の先生で、生と死について人一倍考え続けてきた人、意志の強い人、身体能力も高く短距離走が得意な人でした。そんな「強い人」だった父が、病に降伏して、みるみる朽ちていきました。

 

人が生きたり死んだりすることには、医療や科学がどれだけ進歩してもコントロールできない何かがありますよね。私たちは、便利な都市に生きて、身体も健康であるうちは、すべての物事をコントロールできていると感じていて、どこか万能感のようなものを持っているけれど、実際はそうじゃない。

 

当たり前のことなのに、東京で普通に生活している間は忘れてるんですよね。でも、そういうことが五島にいると、とても自然にわかるんです。

 

起きて、食べて、働いて、寝てという毎日のいとなみの先に、老いて、朽ちて、死んでいくことが当たり前のようにある。そういうシンプルな生命の連なりが長い時間繰り返されてきたこと、そして自分も連なりの一部なんだということを身体で感じます。

 

もちろん、「個」としてしっかりとした意志を持って生きていくことも大事だけれど、時には自分も生まれては死んでいく「ただの命」に過ぎないという視点を取り戻してみる。大きな流れの中に自分というものを置いてみることも大事だと思います。存在そのものを受け止めてもらえる。何千年と変わらないものが、じっと見ていてくれている。五島は、そういう安心感を強く持てる場所でしたね。

 



計画しすぎない旅

 

私たちは普段、何らかの意志をもってプランを立てますよね。仕事でも、プライベートでも。ゴールを描いて、そこから逆算して何をいつまでにやるというふうに計画を立てる。その計画を着実に進めていくことで、物事は右肩あがりでよくなっていくと信じている。もちろん、そういう考えかたは大事だし、私も企業に長年身を置いていたのでビジネスに不可欠であることは理解しています。

 

でも、今回五島で経験した「みつめる旅」は、私たちが都会で馴染んでいるそういうありかたとはまったく違いました。もちろん、旅はある程度計画しないとできないけれど、計画をしすぎない。

 

45日のうち、行き帰りの日を除いて予定を入れていたのは1日だけ。あとはほとんどすべて自由時間で、「天気がいいからヨガをしよう」「釣りをしたい人がいるからついて行ってみよう」と気の赴くままに過ごしました。 

 

五島という場所に身を置いてみた時、自分の中から何をしたい気持ちが湧いてくるか。それを感じ取りながら、次にやることを決めていきました。計画しすぎないバランスがちょうどいい旅でしたね。


(写真撮影:すべて五島在住の写真家・廣瀬健司さん)