mitsutabi

2018/08/07 13:00



五島列島、6月3日午前6時39分

早朝に起き出して麦わら帽子をかぶり、近所の入江まで初夏の魚「きす」を釣りにやってきた近所のおっちゃん。五島では、自分の食べる分の魚は自分で釣るという人も少なくありません。竿と糸だけの必要最低限の道具でゴカイやアオイソメを餌に投げ釣りをするという、いたってシンプルなスタイル。おじさんと隣には、同じく近所からやってきたおばさんが。世間話をしながら、ふたり並んできすを釣る初夏の朝です。

釣ったきすは、パン粉をつけてフライにしたり、天ぷらにしたり。餌が余ったら、冷暗所に戻して翌日のために大切にとっておきます。お金はかけずに美味しい魚を必要な分だけ手に入れる、自給自足のライフスタイルです。



東京、8月7日午後12時45分

自給自足できる人。

野菜を自分で育てたり、パンを自宅で焼いたり、ソーセージを手づくりしたり。ちょっとした家具なら、ホームセンターで材料を揃えて週末にDIYで仕上げてしまう。そういうことができる人が羨ましいな、と思う。

でも、その「羨ましさ」はどこから来るのだろう?

自由になる時間がたくさんあるから? 

「生きる力」があるから?

お金がなくても暮らしていけるから?

どれも外れてはいないけれど、ピタリと当てはまる感じもしない。

東京では、「特別な何か」をすることの報酬として、生きるエネルギーみたいなものを受け取っている感じがする。仕事で結果を出して、満たされる。どこかに出かけて新しい経験をして、満たされる。趣味のいいモノをお金で買って、満たされる。手に入れるまでは「特別」だったものも、手に入れた瞬間「日常」になって、次の「特別」を開拓したくなってくる。

それはそれで楽しいけれど、どこかで「終わり」がくる予感がする。だって、この生活を続けるほどに、残された「特別」は少なくなっていくし、自分が求める「特別」のレベルもどんどん上がっていくから。それは、開拓を続けるうちに、未開の地がやがてなくなってしまうのとまるで同じかもしれない。

そう考えると、自給自足って、単に生活に必要なモノを自分で作り出せることだけじゃない気がしてくる。近所のともだちと日がな仲よく魚を釣って、夕ごはんにはそれを料理して食べる。きす釣りのおっちゃんは「こんな生活、退屈やけん」と言うかもしれない。でも、それを淡々と続けられることこそ、本当の意味で「自給自足」って言うんじゃないの?と、「きす釣りの朝」の写真を見ながらふと思う。

東京からみつめた五島「6月3日午前6時39分」の風景。


写真を撮った人:廣瀬健司
生まれも育ちも五島列島・福江島。東京で警察官として働いたのち、1987年に五島にUターン。写真家として30年のキャリアを持つ。2001年には「ながさき阿蘭陀年 写真伝来の地ながさきフォトコンテスト」でグラプリを受賞」。五島の「くらしと人々」をテーマにした作品を撮り続けている。2011年には初の作品集『おさがりの長靴はいて』(長崎新聞社)から出版。地元の若手写真家の育成にも尽力する、五島愛の塊のような熱い写真家。

文章を書いた人:鈴木円香

編集者。1983年、兵庫県・明石生まれ。もともとは本の編集をしていたが、独立してからは本、雑誌、ウェブなどジャンルを問わずで仕事をしている。友人が移住したのをきっかけに2017年夏に家族で五島・福江島を訪れて以来、抗しようもなく五島に惹かれ続ける。同年9月には五島で船舶免許を取得。五島の魅力をもっと広めたいと、11月からは五島在住の写真家と一緒に「毎日が絶景」PROJECT in 五島列島を立ち上げる。


この記事は、paper版「みつめる旅」vol.1に収録された内容の一部です。


※増刷・次号の発行も、制作費のめどが立ち次第進めてまいりますが、現在のところ時期は未定です。