mitsutabi

2019/08/26 06:28



旅とは、自分の体と心を日常から離れた場所に置いてみること。いつもと違う風と光を浴び、いつも違う人と言葉に触れ、「非日常」で五感を満たしてみる。昨日までの連続を、一度ぷつりと断ち切ってみる。

 

感じることが変わると、考えることが変わる。考えることが変わると、やがて生きかたそのものも変化していく。旅に出る前の自分と、旅から戻った時の自分に、わずかでも変化があったなら、それはきっと”いい旅”だったと言えるはず。

 

長崎・五島列島を舞台に、そんな新しい旅の形を提案している「みつめる旅」。今回「みつめる旅」のスペシャルツアーとして、ベストセラー『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』の著者として知られる山口周さんと行く「みつめる旅humanity」を開催しました。




2019年9月に第1回が開催された「みつめる旅 humanity」の旅のレポート。今回、旅をしたのはこんな人です。



山本 裕介さん▶︎▶︎▶︎1980年広島県出身。大手広告代理店、Twitter日本上陸時のマーケティング・PRを担当した後、2011年より外資系IT企業でマーケティングを担当。専門領域はテクノロジーを活用してより良い社会を実現するためのプロジェクト。夫婦起業で過去に東京・青山で飲食店を経営。子どもが生まれてからは北は知床から南は奄美大島まで全国10ヶ所以上で子連れリモートワークを実践中。



 

 

問いを探しに行く時間


とにかく空っぽになって、いろんなことを吸収できたことがとても気持ちよかったですね。これまでの人生で一番と言っていいほど、外からの刺激をそのまま身体に取り込んだ経験でした。

 

やはり大人として社会の中で生きていると、その場、その場で何かしら期待されている役割があり、無意識のうちにその役割に自分を合わせようとしますよね。常に自分が相手に対してどのようなバリュー(価値)を提供できるかを意識しているというか。それはそれで大事なことですし、心地よい緊張感をもたらしてくれているとも言えるのですが、「みつめる旅 humanity」は、日常の役割から一時的に離れる貴重な時間でした。



 

「みつめる旅 humanity」は、目的がないことが最大の特徴だと思います。

 

私も普段から仕事でさまざまな研修に参加しますが、たいていの研修には「目的」が設定されているものです。参加者同士なかよくなってチームビルディングに活かそうとか、経営戦略を考えるために直感を磨こうとか。でも、今回の旅には「目的」や「ゴール」が何も設定されません。その点が、自分にとってとても心地よく、新鮮で、おもしろかったです。

 

何事も何らかの目的が設定された瞬間、他のことはすべて、その目的を達成するための「手段」になってしまいます。ですが、もう「手段」はいいんです。「手段」は世の中にいくらでもあるし、それを学ぶための機会もたくさんある。今、必要なのは「問い」を探すことの方。自分にとってもっとも大切な問いは何かを深く考えることこそ、今回の旅の大きなポイントでした。

 

つまり、「みつめる旅 humanity」は、問いを解くための時間ではなく、問いを探すための時間なんですね、きっと。


 

お金に換算できない「価値」


旅の中では、夜、焚火をしながらダイアローグをする機会が2度ほどありましたが、あらためて「炎をみつめながら話すのっていいものだなあ」と感じました。

 

全身で取り込んだ情報をもとに、感じたことや考えたことを言語化していく。そのダイアローグにも、いわゆる「方向性」がありません。例えば、「経営に美意識を取り入れよう」とか、「起業して新しい価値を社会に届けよう」とか、「よりオーガニックな生きかたをしよう」とか。より○○な何かをしようという方向性も、善悪や上下といった価値判断ない。そういう前提のもとでヒューマニティーについて考え、「人間とはどういう存在なのだろう?」という問いと向き合います。

 

特に結論が出るわけでもなく、ただただ深掘りしていくだけなのですが、そういう場って、意外に社会の中にないんです。



 

また機会があれば、ああいうダイアローグを五島でしてみたいです。隔絶された場所で時間がたっぷりと与えられて、方向性を設定せずに対話する。正直、僕は「研修」と呼ばれるものに冷めている方だと思いますが、「みつめる旅 humanity」で流れていたニュートラルな時間は好きでした。あの時間は超貴重で、貨幣価値には換算しづらいものの、本当にかけがえのないものだったかもしれないと、東京に戻ってきてからなおさら思います。

 


「人間の本性」を身体で理解する


エクスカーションの中で特に心に残っているのは、森の中を往復60分ほど歩いていった「ザザレ集落(久賀島)」ですね。安土桃山時代から明治初期にかけての禁教の時代に、五島は潜伏キリシタンたちが信仰を守り続けた土地として知られています。そして人口300人ほどの島の山奥に築かれた集落跡が「ザザレ集落(2018年に世界遺産登録)」です。



 

僕自身は、宗教的な場所という意味では、これまでもミラノの大聖堂やエルサレムの「嘆きの壁」を訪れたことがありますが、五島の潜伏キリシタン遺産では、それらとは明らかに違う何かを感じました。

 

僕は特定の宗教を信じているわけではないので、教会などの宗教施設を訪れても、どうしても自分事としては捉えられませんでした。でも、五島の潜伏キリシタンにまつわる歴史遺産には、キリスト教徒でも何でもなくても、身体で感じるものが確かにありました。

 

過酷な弾圧を受けながらも守ってきた集落、そして高度経済成長の余波が押し寄せるなかで1960年代に打ち捨てられた集落……。時代の変化の中で人間という存在がどのように生き抜いていくものなのかについて、頭脳ではなく身体で理解できた気がします。複雑な人間の本性が感じられましたね。

 

生活感があったことも、要因として大きかったと思います。例えば、旅の中で訪れた「旧五輪教会(久賀島)」は、細い山道を抜けた先の小さな海岸脇に建っている教会なのですが、その隣には民家があったり、漁船が止まっていたりします。ビール箱に腰かけて漁の準備をするおばあちゃんの姿も目にしました。そういう日本的な生活風景の中にたたずむ宗教的な場所であることも、「身体で理解すること」に影響したと思います。


 

言語化できないから価値がある


と、ここまでいろいろ話しましたが(笑)、結局は「ただただ刺激を受けたことが楽しかった」というひと言に尽きるかもしれません。五島にいるあいだ、これまでに受けたことのない量の情報が、身体中の毛穴からわーーーーっと入ってきて、そのまま全身を通過して出ていったという感覚がありました。それが、かつて味わったことのないほどのすごい解放感だったんです。

 

うまく表現できませんが、「情報に対して構えない」と言いますか。社会人をやっていると多かれ少なかれ「型」が身についていると思います。こういう情報が来たら、こういう型で打ち返すというような。「型」って、自分で思うよりも深く身に染み込んでいて、東京にいる時は下ろそうとしても下ろせないんです。対して、その「型」を完全に下ろして、自分のところにやってくる情報をただただ身体で浴びるように受け止められる時間が、「みつめる旅 humanity」だったと思います。

 

自分で言うのも何ですが、普段仕事ではわりと理路整然と立て板に水で話せる方なんです。なのに、この旅で得たことを言語化するのは非常に難しい。でも、その「わかりづらさ」こそ、かけがえのない価値だったのではないでしょうか。



 

 

今後も「みつめる旅 humanity」に参加したみなさまのレポートも随時掲載してまいりますので、お楽しみに!


お知らせ▶︎▶︎▶︎「みつめる旅 humanity」は、初回はミレニアル世代から支持を集めるウェブメディア、Business Insider Japanさん主催の「五島列島リモートワーク実証実験」(後援:五島市、長崎県)内で開催された特別企画でしたが、今後は未来の社会をつくるビジネスパーソンを対象とした、紹介制のクローズド・ツアーとして運営していきます。




掲載写真について▶︎▶︎▶︎「みつめる旅」は、五島在住の写真家さんたちを中心となって五島の魅力を発信する「毎日が絶景PROJECT in五島列島」のメディアとして2017年にスタートしました。内面からの地方創生を目指して、1240キロ離れた五島と東京がたがいに大切な何かをGIVEしあえる持続可能な関係性を思索しながら運営しています。今回の「みつめる旅 humanity」の写真は、福江島在住の写真家・廣瀬健司さんが撮影しています。五島で生きる人だからこそ知っている「五島」を伝えるため、廣瀬さんは、ツアーの構成や旅程のプロデュース、現地のアテンドまで関わられています。


廣瀬健司(ひろせ・たけし)さん:生まれも育ちも五島列島・福江島。東京で警察官として働いたのち、1987年に五島にUターン。写真家として30年のキャリアを持つ。2001年には「ながさき阿蘭陀年 写真伝来の地ながさきフォトコンテスト」でグランプリを受賞」。五島の「くらしと人々」をテーマにした作品を撮り続けている。2011年には初の作品集『おさがりの長靴はいて』(長崎新聞社)から出版。地元の若手写真家の育成にも尽力する、五島愛の塊のような熱い写真家。