mitsutabi

2018/10/31 11:46


山口周さん〈後編〉


旅とは、自分の体と心を日常から離れた場所に置いてみること。いつもと違う風と光を浴び、いつも違う人と言葉に触れ、「非日常」で五感を満たしてみる。昨日までの連続を、一度ぷつりと断ち切ってみる。

 

感じることが変わると、考えることが変わる。考えることが変わると、やがて生きかたそのものも変化していく。旅に出る前の自分と、旅から戻った時の自分に、わずかでも変化があったなら、それはきっと”いい旅”だったと言えるはず。

 

長崎・五島列島を舞台に、そんな新しい旅の形を提案している「つめる旅」。今回「みつめる旅」をしたのは、こんな人です。

 

旅をした人:山口周さん


1970年東京都生まれ。読書と、海で太陽の光を浴びることが何よりも好き。現在は家族と神奈川県・葉山で暮らしている。外資系人材コンサルティングファームでシニアパートナーを務めるかたわら、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』『劣化するオッサン社会の処方箋』(ともに光文社新書)など数々の著書を出版し作家としても活躍している。




山口周さんの「みつめる旅」in 五島列島


1日目(羽田から長崎経由で鯛ノ浦)

2日目(❶蛤浜付近)

3日目(❷頭ケ島から❸桐古里・若松)

4日目(❸桐古里・若松)

5日目(奈良尾から長崎経由で羽田)



リベラルアーツを学ぶ旅


前編で、「学び」のリソースとして、旅を大切にしていると話しましたが、私の中では学びの柱の一つに、「ヒューマニティに対する洞察」があります。

 

つまり、人間とは一体どんな生きものなのか理解しようとすることです。

 

私たちは、今、人類史上例を見ないほど、人間というものを単純化した世界に生きていると思うんです。資本主義が生まれてからここ100年ほどの間に、経済学が前提とする、自己の利益を最大化しようとする功利的存在としての人間像が幅をきかせるようになりました。そして、そういう人間像に則って、大きな物事が決められてきました。

 

でも、当たり前のことですが、人間ってそんなに単純な存在じゃないですよね。

 

今回の五島の旅では、今年6月に世界遺産に登録された「頭ケ島の集落」をはじめ潜伏キリシタンにまつわる場所を訪れたり、直接信者の方からお話を伺ったりする機会がありました。約400年に及ぶ長い禁教の時代と、その間に行われた過酷な弾圧については、書物を通じて学んではいましたが、やはり実際に目の前にすると、心揺さぶられ深く考えさせられました。



 

例えば、カクレキシタンの方々は禁教の時代に「心からでなくてもいい、形だけでいいから踏み絵を踏めば、命は取らない」と言われても、踏み絵を踏まず殉教していきました。そういう歴史に触れた時、私たちは「なぜ?」と驚き、改めて「人間とは、一体何なのだろう?」と考え始めます。そして、それがまさにヒューマニティの洞察に繋がっていきます。

 

ヒュマニティを理解しようとすることは、すなわちリベラルアーツです。自分には理解できない人間の不可解さに直面して「なぜ?」と考え込む。その体験が、真の意味での教養になっていくのではないでしょうか。

 

人間というものに興味があるなら、五島は絶対に訪れた方がいい場所です。でも、決して薄っぺらな旅先じゃない。訪れる人に、それなりの感性や思考力を求める旅先です。

 

旅先としての図抜けたポテンシャル


遠藤周作が、禁教の時代のカクレキリシタンを描いた小説『沈黙』の中で、「人間がこんなに哀しいのに、主よ、海があまりに碧いのです」と書いていますが、私も実際に訪れて「本当にそうだなあ」としみじみ思いました。ただ単に海がきれいな場所は他にもいろいろとあるけれど、強烈な歴史と美しい自然のコントラストがあるという意味で、五島は世界的に見てもとても稀有ですね。

 

そういう特殊性を踏まえて、観光地としての五島を考えてみると、やはり図抜けたポテンシャルのある場所だと感じました。

 

今年は「潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録され、今後ますます観光地としての商業価値は上がっていくでしょう。でも、一つ心配でもあるのが、商業価値が上がることで、現在の五島が持っている本来のよさが失われてしまうのではないかという点です。



 

今回、私が訪れたのは「上五島」と呼ばれる地域でしたが、いい意味で商業化されていなくてとてもいいな、と思いました。例えば、日本の温泉地はどこもすごい数の看板が出ていて、全体としてその土地のイメージが破壊されていますよね。でも、五島にはそういうところが、「まだ」ないんです。

 

看板や鉄筋コンクリートの建物など、人工物は一回できあがってしまうと、排除するのが大変です。そういう物がまったくない無垢な状態だから、すごいポテンシャルのある場所だな、と思いましたね。

 

商業化されたリゾートは、それが地理的にどれほど離れた場所にあっても、都市と同じシステムを前提にして動いているところがありますよね。「自分たちはお金を払うから、あんたたちはホスピタリティを提供してくれ」というような。五島は、そんなふうに毒されてない感じが魅力的でした。

 

旅する時間の豊かさ


世界のいろいろな場所を旅していると、ヨーロッパのリゾートは、看板などは絶対に出させず、訪れる人の旅の体験の質を高める努力をすごくしていることに気づきます。きちんとマーケティングをして、その土地を訪れる人にとっての「時間の豊かさ」とは何かを徹底的に考えています。

 

今後、五島が観光地としての価値を上げていく時に、旅をする人にとっての「本当の豊かさ」って何だろう?という点を突き詰めていただけたら嬉しいな、と思いました。そして、その時に先ほど触れた「ヒューマニティへの洞察」が大きなヒントになってくるのではないでしょうか。

 

日本国内においてはもちろんのこと、世界的に見ても、ものすごいポテンシャルのある五島という場所だからこそ、単なるリゾートにではない「特別な旅先」になっていってほしいでね。

 

と、本当にいろいろなことを考えさせられた五島での時間でしたが、旅から戻った時シンプルに「旅って、いいもんだな」と改めて思いました。


(写真撮影:1番目は旅行者によるもの、その他はすべて五島在住の写真家・廣瀬健司さん)