mitsutabi

2018/10/12 06:04



旅とは、自分の体と心を日常から離れた場所に置いてみること。いつもと違う風と光を浴び、いつも違う人と言葉に触れ、「非日常」で五感を満たしてみる。昨日までの連続を、一度ぷつりと断ち切ってみる。

 

感じることが変わると、考えることが変わる。考えることが変わると、やがて生きかたそのものも変化していく。旅に出る前の自分と、旅から戻った時の自分に、わずかでも変化があったなら、それはきっと”いい旅”だったと言えるはず。

 

長崎・五島列島を舞台に、そんな新しい旅の形を提案している「みつめる旅」。今回「みつめる旅」をしたのは、こんな人です。

 

旅をした人:廣瀬理子さん

1991年京都生まれ。普段は日系メーカーにて新規事業開発に携わっている。週末にボードゲームをしたい人を集めて、ホームパーティを開くことが何よりの楽しみ。将来は、「人の終末」に関わるすべての人に向けて新しい居場所を生み出すようなプロジェクトを手がけたいと考えている。




廣瀬理子さんの「みつめる旅」in 五島列島


1日目(羽田から長崎経由で鯛ノ浦)

2日目(❶蛤浜付近)

3日目(❷頭ケ島から❸桐古里・若松)

4日目(❸桐古里・若松)

5日目(奈良尾から長崎経由で羽田)



海辺の小さな教会に佇んで


旅から戻って3週間経ちましたが、「もう3週間」というより「まだ3週間」という感じです。とても心に残る旅だったので、ふとした瞬間に五島が恋しくなりますね。

 

特に心に残っているのは、潜伏キリシタンのことです。

 

旅の中では、今年6月に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺」として世界遺産登録された「頭ケ島天主堂」の他、ドライブの途中に地元の人に教えてもらった「中ノ浦教会」や「若松大浦教会」などに行きました。

 

特に「若松大浦教会」は一瞬、普通の民家と見紛うほど小さくて素朴な教会で、中にはパイプ椅子が並んでいたりしてどこか公民館のような雰囲気がありました。マリア像も普段見かけるものより顔がふっくらしていて、地元の方曰く「おかめさんみたいでしょ?」と。長い長い禁教の時代を乗り越えて、信者のみなさんがやっとの想いで建てた小さな教会は、どれも決して目立たないけれど愛おしい感じがしました。

 

点々とある教会を訪れて、敷地に腰かけて澄んだ海を眺めている時間がとてもよかったですね潜伏キリシタンにまつわるあれだけ過酷な歴史を抱えている一方で、たまらなく綺麗な自然がある。酷さと美しさ。旅の間、その中に身をおいていると、自分って本当に弱くて何者でもない存在なんだなあ、と感じました。



 

言葉で語らないこと


今回の旅では、特別に「カクレキリシタン」の方にお会いする機会がありました。

 

安土桃山時代から禁教が解ける1873(明治6)年、そしてそれから現在までの145年間、あわせて400年以上の間密かに信仰を守り続けてきた「カクレキリシタン」と呼ばれる方々がまだいらっしゃると聞いて、最初は心底にびっくりしました。

 

カクレキリシタンの方は、お祈りを心の中で唱えて口には出さないそうです。言葉にしないお祈りを、過酷な迫害を受けながら代々引き継いでいくとは、一体どういうことなのだろう?と深く考えさせられましたね。ご一緒に過ごしたのはほんの数時間でしたが、その間も多くを語られないんです。伝えたいことだけを訥々と話されて、あとは静かに佇んでいらっしゃる。

 

その時ふと東京にいる自分が、いかにたくさん言葉を使っているか気づきましたね。仕事でも、プライベートでも、いつも言葉を口にしている。言葉をできるだけ上手に使いこなして、自分を理解してもらったり、認めてもらったり、よく見せようとする。そして、効率よく努力して、できるだけ速いスピードで自分を成長させるにはどうすればいいか?なんてことを考えながら、日々を過ごしているわけです。

 

でも、人間、結局、何を語るかじゃなくて、どう生きたか、なんですよね。

 

自分が信じるもののために、余計な言葉は語らず黙々と生きる。そういう人の生きざまに触れると、東京でこれまで自分が続けてきた「努力」って本当に正しかったんだっけ?と恥ずかしさを感じました。



 

「今」にフォーカスできる時間


旅全体を通じて「今」にフォーカスして過ごせたことがとてもよかったです。

 

東京にいる時は、何をしていても「ながら」なんです。スマホ見ながら食事、仕事しながら、次の仕事のことを心配していたり。いつもバタバタ焦って、つい「ながら」ばかりになってしまう。

 

それに対して、五島での時間の流れかたは、とてもシンプルでした。朝が来たから起きよう、おなかが減ったから食べよう、海がきれいだから泳ごう、とすべてがそんな感じ。旅程もあらかじめ決めないようにしていたので、その時々に「やりたい」と感じたことをやるだけでした。

 

そういうありかたって、すごく脳にいいそうです。つまり、「ごはんを食べてる」と思いながら、実際にごはんを食べる。「明日の予定はどうだっけ?」と考えながら、ごはんを食べるのではなくて。「今」に意識をフォーカスするのが一番脳にいいという脳科学の研究結果を以前読んだことがあるのですが、それを思い出しましたね。

 

余計なことは考えずに、シンプルに「今」や「自分」と向き合える。そんな時間を持てるのが、五島のいいところです。



 

日本人にとっての「心の豊かさ」って何だろう?


次に五島を訪れる際は、会社の同期の友達を誘いたいです。彼女は、海外の一流大学と「心の豊かさ」についての共同研究をしている人なんです。

 

たとえば、世界でもっとも幸福度が高いとされている北欧には、「心の豊かさ」をあらわす言葉がいくつかあるそうです。デンマークであれば、「家族のような温かく心地よい状態」を指す「ヒュッケ」が、ノルウェーであれば、「自然の中に回帰している状態」を指す「フリーリフトリウ」がそれぞれ「心の幸せ」とされている。一方で、暖炉を囲んで家族と議論する時間こそ「幸せ」と考える地域もある。国によって「幸せ」の定義って、少しずつ違うみたいです。

 

じゃあ、日本人にとっての「心の豊かさ」って何だろう? そう考えてみた時に五島にはいろいろとヒントがあるなと感じました。次に行く時は、その友達と五島の海を眺めながら一緒に考えてみたいですね。


(写真撮影:上から順に1、4番目は旅行者自身、2、3、5番目は五島在住の写真家・廣瀬健司さん)